「2008年の終わりに」の次が「2009年の初めに」なんて、ちょっと素直すぎるというか、芸のないタイトルであるのは容赦していただき、ともあれ新年、書き初めは東京タワーのお話です。
昨年12月23日に50周年を迎えたとあって、東京タワーのことは新聞やテレビなどメディアでも連日取り上げられていますが、肝心なことが(私に言わせれば)触れられていないからです。
何か。それは東京タワーの創設者、前田久吉氏が50年前、なぜ世界一高いタワー(当時は)を作ろうとしたのかということです。地震や台風など自然災害も多い日本で、数百メートルもの高い塔を作るなんて不可能ではないかという見方も当時は結構あったとされます。しかし前田氏は断固やり抜くぞとひるまなかった。その覚悟があったからこそ、今日の東京タワーがあるとも言えるわけです。
彼に不動の信念を与えたものは何か。それは京都の東寺教王護国寺の五重塔でした。もともと関西出身で、大阪・天王寺や奈良・法隆寺などの塔が大空にくっきりとのびるその姿の美しさに惹かれていた前田氏が、電波塔についてあれこれ思案するうちに京都の五重塔があらためて浮かび上がってきたと言います。
≪今にのこるあの塔は、寛永18年徳川家光が再建したものだと聞いているが、三百余年も前にすでに、高さ50メートル余もある立派な塔が日本人の手で出来たのである。ましてや科学技術の進歩した現代である。日本人の手でやって出来ないということはないーーという考えが私の胸底に湧いてきたのだった。私はそのとき頭にひらめいたこのヒントをしっかりつかんだ。≫
以上は、タワーが見事に完成した1959年、東京書房から出版された『東京タワー物語』に記された前田氏のあとがきからの引用です。
実は前田氏は産経新聞の創業者でもあります。少々話がそれますが、時代を先取りするスピリットにあふれた方だったようで、日本の新聞で産経新聞が婦人面を最初に作りましたが、これも前田氏のアイデアとされます。女性は財布の紐を握る大事な消費者であるという合理的精神もあったのではないかと思います。
ま、そんなご縁で私も昨年12月半ば、内部がきれいにリニューアルされたタワーのお披露目に多分、何十年ぶりかで訪れる機会に恵まれ、科学技術の粋とスタイリッシュな景観の見事さに圧倒されてきました。一時期、東京タワーは「お上りさんの行くダサイところ」なんて言われたこともありましたが、とんでもない、50年という風雪をくぐり抜け、すくっと立つ存在感は比類がありませんでした。
その日は幸い青空が広がる晴れ渡った日で、東京湾はキラキラと輝き、所々たゆとうように雲が浮かび、そして四方八方、東京から関東までが一望できました。
≪この塔を見上げて今更のように感じるのは、日本科学技術の水準が、素晴らしい上昇をとげたということである。、、、(中略)これによってわが国産業貿易はますます発展してくるだろうし、この事が私は非常に愉快である。≫
非常に愉快であるーなんてまっすぐなそれこそ愉快な言葉ですね。私も展望台にいる内に自然にそんな気持ちになりました。
2012年には新しい電波塔「東京スカイツリー」が墨田区に誕生し、テレビ電波塔としての東京タワーは主役を譲ることになっています。高さだけをいうなら、スカイツリーは東京タワー(333メートル)の倍の高さです。技術の進歩もまた止まることがないのでしょう。
しかし東京タワーは単なる電波塔ではない、高さを競うものでもない。それ以上のもの、そう時代や歴史、沢山の人々思い出がつまった、いまやランドマークと言ってもよいのではなかと思います。
by amber0921
魁サマ、辛抱です。